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このほど、石川啄木像・歌碑建立を記念して旭川市が啄木のリーフレットを作成しました。

いかにもタコにもながら、市民や観光訪問者の案内に大いに役立つことでしょう。
たくちゃんのイラストは中村泰敏さんがとっているようですね。よかったよかった。


4月20日、21日と国際啄木学会が旭川にやってきます。

記念講演会・懇親会は4月20日午後2時からロワジールホテルにて。懇親会は5千円です。

お問い合わせは旭川啄木会  0166-22-7577 柴滝建築設計事務所内の事務局へ。


社長の石川さんが窓口。苗字つながりですからねえ。
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地域ラジオ局FMりべーるの教育番組「宝クジガ当タルゾ。」が、放送開始から10年になった。

高校生や高専生が入れ替わり立ち代りでとりとめなくやっているが、祖国防衛のキツめな仕事をしている者、キャビンアテンダントで空を飛びまくっていたり、携帯電話を売っている奴もいるし、せっかく入れたラジオ局を好きな男の関係でやめて演劇びたりになっている連中、もっと油濃いのもいるが悪さをしていないようで安心している。

人間性は良いが、経営能力のない花見酒経営者を勝手に応援している格好にもなるが、その経営者は大して関心がないようで、こちらの仕掛けることにそっとしてくれるのは好都合といえる。

地域の押しも押されぬ代表となった西川さんも、浪人の頃に兄貴分で出てもらったことがある。本人は苦笑いかもしれないが、下積みの結果が現在の仕事につながったのではないだろうか。

こういう話を次の国政選挙にむけて活動しているA副会長に話すと、「是非教えてください」とのこと。
彼に下積みは性格的に無理だと思えたので、どんどん暴れなさいと助言した(当然だが適法に)。
その人にあったアドバイスと前向きなパー券購入協力が、現在唯一の処方箋である。

今年のメンバーは高専の男女二人と北高の2組4人の女の子(旭笑長屋の取材をしたらしい)。月曜日の夜7時から30分2本で、時折ダメだし役で私も登場するかな。期待しないで待っていてください(^O^)。
中心市街地にはユニセックスバーもあるが、今回はメイド喫茶へご案内。

「落語のネタづくり・萌え萌えキュン!」と前会長。なんともプリティ。H会員はアラフィフなのにメイドコスが似合いすぎ。一瞬おうちのパートナーのことを忘れてしまった(^O^)。

見習いに、勇気とタイミングが大事だよと諭す。

帝王?T副会長は余裕の表情。酒を飲んでもダンディである。

雑多なものを楽しめるのも中心部の魅力。
3月例会は3月25日(月)、5条通16丁目にある「おかだ紅雪庭(旧岡田邸)」で北海道大学名誉教授の小林英嗣氏を講師に開催しました。

ありがたいと思ったことを3点
1 小学校の謝恩会などでホテルなどのバンケットルームはどこも満席。樋口会員の機転でこの会場を紹介してくれたこと。築80年の国登録有形文化財で料理も上品で美味しかった。
2 参加者のトークが笑いあり感動ありで抜群であったこと。
3 買物公園のポテンシャルの高評価と、シティ・ホールの重要性。「自治力・創発力・教育力」が地域力。
適当な表現が見つからずもやもや感を消してくれたこと。


国内大手S建設の営業開発部長さんの尽力もあって巡り合えた勉強会。貴重な時間をいただいた。

音威子府村は蕎麦の産地。そのなかでニャンと幌加内そばを出す店が咲来(さっくる)にある。羊羹も売っているがうまかった。

稚内市は海産物を売り物にしているが、JP稚内郵便局傍にもんじゃ焼きの店があって、おばちゃん一人で切り盛りしている。
もんじゃは注文せずに、豚キムチ焼きなどどこにでもあるものを注文した。
おばちゃんの焼き方と味付けがてきぱきとしていて、ぺろぺろペロリンといただけた。

勘と足を運んで様子を見ながら選ぶ。趣味?と化しているまちあるきの基本である。
一般社団法人北海道中小企業家同友会の元専務理事(その後代表、相談役)であった大久保直孝さんのお別れ会が22日午後、札幌市民ホールで開かれた。

当時の一流銀行を退職して中小企業家のための団体を立ち上げ、多種多様な企業家とともに「共に育つ」を理念に多くの企業人に影響を与えたことは計り知れないものがある。

会場には平日の午後であるにも関わらず300人ほどか参集し、お別れの言葉を幾人かが述べられた後、全員で献花を行いました。

私は同友会の活動には殆ど参加していない{ほぼ会費要員}であるものの、10年以上も前に大久保さんが事業所訪問にこられたことがあったので、現在の自分があることにお礼の気持ちで参加しました。

大久保さんをこれからも師のひとりとして尊敬し、企業づくり、地域づくりにこれからも役立てていきたいと思います。

せんだって旭川青年大学の講演会(だと思う)に講師で来られた漫画家(政治経済から国際社会、男女の仲まで幅広い)の弘兼憲史氏の連載作品「黄昏流星群」の最新作は、旭川出身の主人公で東京の会社を解雇後故郷でアルバイトをする中年男の物語です。
小学館[ビッグコミックオリジナル]4月5日号(3月20日発売)。
旭橋と蜂屋創業5条店がモデルの店が登場しています。
背景やタクシーもあれかな?と想像できます。

北海道初の新幹線鉄道が2015年度に開業する。昨日の北海道新聞の記事によると、函館市議会は現在の渡島大野駅に設置される新幹線駅を{新函館駅}とするようJR北海道に申し入れることを決議した。

その地域でしかわからないこともあるが、どう考えても愚か者というほかはない。

自分の街が一番というのはわかるが、駅の立地は市制施行して間もない北斗{市}である。どうして函館市と一緒にならなかったことをよく考えるべきである。
駅名で{新}がつくところが本家より発展したところは皆無である。新横浜(横浜)、新大阪(梅田)、新神戸(三ノ宮)、新倉敷(倉敷)、新岩国(岩国)、新山口(山口)、新大牟田(大牟田)、新八代(八代)、新白河(白河)、新青森(青森)など。在来線ではあるが、新旭川が発展しているといえるだろうか。違うもので恐縮だが、新酪農村なんてとんでもない結末のものもある。

一方、両方の呼び名を示したのは上越新幹線の燕三条(燕、三条)が有名で、東北新幹線の七戸十和田(七戸町、十和田市)など小規模であるが互いの力を高めあっている。

新幹線の場合、広い行政区域で互いに助け合わないと効果が現れない。在来線の第三セクター自体は両方の都市に関係しているのだから、両方の名をつける(私は北斗函館がふさわしいと思うが、北海道商工会議所連合会の高向会頭は函館北斗の名を挙げている)のがベストである。

函館に限らず、旭川・帯広・釧路といった都市と周辺町との関係は大局的な判断ができたかで成果が変わってくる。たかが駅名だが、北海道自体の知恵力が試されている。
月刊誌北海道経済2013年4月号(公式には3月15日発売)に提言「旭川市議会議員定数問題」という私の小論文が掲載されています。


議会が動き、市役所が動く。そして市民自らが考えて動く。まちづくりのプロセスは時代とともに変わる。
議員の仕事を減らし、市役所をどんどん働かせて市民が動いてくれるようにする。それが永続的なまつづくりにつながるということ。

NHK教育テレビで放送されているミニ番組「ピタゴラスイッチ」を見て考えたこと。(例のからくり装置群です!)

この考え、漢方薬のようにじわじわ効いてくれればよいと思っている。
日立市はHITACHIグループの企業城下町という風情。中心市街地にドンと工場とビルが立ち並ぶ。
夕食は中心街の居酒屋へ。日本酒は基本的に飲まないほうだが、ふぐひれ酒につられて一杯。

隣の同年代の男性地元客が偶然にも北海道観光の話をしていた。
旭山動物園の感想は、規模が小さく、動物も地元のより少ない。
富良野の五郎の家が印象に残ったという。

年代によって受ける感情は様々だと思うが、中心市街地の話はでてこなかった。旭川市ではなく、動物園だけというのがスケール感が小さかったのではないか。

北海道外から訪問する客の距離感を考えて受け入れをするなど、必要性がわかっていながら手つかずである。

ユーストリームで昼のとある放送の様子をみていたが、時折腕組みをしながら電話の向こうと話をする(上から目線か?)話し手の様子をみて、こいつに象徴されるなあと苦笑した。因みにこの人物、せっかくの素材をわざわざまずくする料理人のように営業ができてないと推察する。
見られること、見る方との距離感がまるでわかっていないもの。
福島県は浜通り(地域の総称)へ行ってきた。

いわき市は旭川と同規模の都市で、ハワイアンズなどもある観光都市だが何か静かすぎる。

広野町、楢葉(ならは)町と北上するにつれ、ひとが歩く姿はなく、特殊な装備をした人を乗せるマイクロバスとパトカー、そしてダンプトラックが目立つ。

そして富岡町との境界で関係者以外通行禁止。

来た道を寄り道しながら車を走らせると、住宅が立ち並ぶ集落へ。雨戸はしまっていて人影どころか猫もいない。

40年も前、炭鉱が閉山になってしまった廃墟寸前の街を見ているようだ。

そういう風景を見たせいなのか、少し体調の変化が気になり高速道路へ向かった。

ビジネスホテルには空きがなく、郡山市へ向かうかと思ったが、茨城県日立市の方が時間距離ともに短いのでそちらのホテルの宿泊をした。


翌日とあるまちの仮設住宅へお手伝い係りで訪問。(知り合いの紹介)
目処が立たない苦悩は、人間を弱くするようだ。
立派な言葉も言えず、只々作業を手伝って冗談話をしていた。

帰りは東京。犠牲を忘れてオリンピックに浮かれる雰囲気に苦笑する。
ADOで旭川空港。ドカ雪もありがたくなくるほどホッとした気持ちになった。

幸せな人が多い事業所を久しぶりに訪問。

おや?、なんか暗くて沈滞ムード。

そう、自分の都合ばかり押し付けている方の{幸せな人}が多い事業所だった。

周りは心配しているのに、自分たち(二人といっていい)は解決をしようとしない。


この構図、中心部商店街の現状にも似ている。

周り一面を幸せにするお金の使い方、稼ぎ方、そして気の遣い方をしないとダメよ。

王道はここ。
スタルヒン球場の夜間照明施設整備工事が大詰めを迎えている。

ナイトゲームができる屋外野球場は札幌にはなく、旭川が北海道初になるという。

日本女子プロ野球と春の高校野球北海道大会の誘致はできなかいか?

女子プロ野球は関西圏を中心にリーグ戦がある。

また、ナイトゲームができるメリットをいかして高校野球を札幌から旭川に移してはどうか?札幌の円山球場は立地条件から夜間照明をつけられないと聞く。

集客に四苦八苦のフィールのなかで考えたこと。
3月2日からの暴風雪は石狩空知と網走根室地方に集中し、8人もの人が凍死や一酸化炭素中毒でお亡くなりになった。残念でならない。娘に覆いかぶさるようにして亡くなった湧別町の父親のニュースには涙があふれた。

東京に出かける予定を中止して地元にいたが、旭川は強風こそ少し吹いたものの大きな災害に見舞われることなく何よりであった。

周りを山に囲まれていることは極端な気候の変化がなく、自然条件としては恵まれているほうだと思っている。

子供の習い事の用事を引き受け千歳へ出かけたが、昨夜までの風雪の跡がいたるところにあり、人間の無力さを改めて感じた。

YOUTUBEに2000年のカウントダウンの映像がアップされているのを発見した。
JR旭川駅(もちろん旧の駅舎)1番ホームに蒸気機関車C11,手前にかがり火。カウントダウンの声で0時ちょうどに汽笛が鳴り、花火があがった。

ただそれだけの映像だが感慨深い。
あの時いまは市長をやっている人も駅の構内で乾杯ワインのサービス係と下積みの時代。

思い立ったのが前年10月の末。いろんな協力者に恵まれて2000人もの人を夜中に集めわいわい騒いで祝ったのである。現在の大型商業施設建設計画の先駆けになるんだろう。

このときの年齢が37歳。何かやらかすぞというのを遥か10年も前から思っていた。
創造と改革という団体だからできたことだろうと思っている。大部分のチャーターメンバーの先輩たちにはむちゃくちゃだと批判されていたが。