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本日の前夜祭から3日間。

あれもこれもの催しと、ここ数日の暑さも手伝って少しばて気味の方も?


新聞社主催の花火大会は本日夜。天気はよいのだろうか。

それにしても、宮下通りのキャノピー工事が始まるのがタイミングが悪すぎだと思う。いかにも公共発注の連携を問われる。
舞踊パレードも短縮で1条通が終点とのこと。
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 北見市金華という集落へ。もはや空き家でないところを探すのがやっとである。鉄道駅も廃止になるそうなので途中から列車で。

 常紋トンネル建設受難者慰霊碑を訪問。かつては小学校があったところとされる。

 廃屋は無残だが、独特の美を感じる。北海道開拓100年ちょっとの急な栄枯盛衰にあると思う。


 旭川に戻り古雑誌「週刊朝日 高校野球甲子園大会特別号(1969)」を開く。昭和44年夏の全国大会出場は南北海道が北海道三笠高校、北北海道が北海道芦別工業高校と道立の学校である。どちらも現在は廃校になっている。(北海道三笠高校は、三笠市立の高校で再出発)炭鉱町の最後の輝きだったに違いない。
 
整形、いや生計、もとい政経セミナーはひとり1万円ですし詰め。空調がきいていても暑苦しい○々。

目つきが厳しい人が多くいて、搭乗手続きのところのように金属探知機が。

出席をとったところでエレベーターへ向かう。講師は魅力だが、しゃべりは調子よくなさそうなので。

前日のMさんの就任ビールパーティも、唾をのみこんだだけで出席登録のみ。

親不知を抜いたらしばらく腫れがありますという医師の説明どおり、アルコール類は不可。とりあえず浮世の義理だけいまは果たしているつもりである。




愛別あたりで。
バイクに乗ろうとする人に見覚えが。

地域を歩く。大事なことである。プライベートなのでかなり距離をおき挨拶もしなかった。
気配を感じさせないのも礼儀だろうと考えた。

その人は、バイクを起こしてエンジンをかけるまで少々{よたって}いた。
やっぱり声掛けなくてよかった。
市内中心部では駅前をはじめとしてビアガーデンがあちこちで開催中。

本日(17日)はまずまずの陽気。閑古鳥は消えるだろうか。
 プロの活動家や集団による、「普通の市民」を装ったデモや集会が本日も全国各地で行われます。プロがお膳立て、善人のようなアジテーターが声をからし、アルバイトキャスト「普通の市民」がふらふらとやってきた本物の普通の人を煽動します。
 これもイベント。耳障りだけど自由主義国家の懐の深さである。
 文句を言うかいわないうちに弁護士を60人も拘束した某国や、海に沈んだ多くの人を助けない某国では「自由」を除けば日常茶飯事のように行われていますが一緒にはならないでしょうね。
 旭川だと1条通買物公園あたりで夕刻。時間が着たら(暗くなったら)ぴたりとやめるお行儀のよさ?
 
 「政府、中国にガス田の情報公開を要求」
7 月16日北海道新聞4面にあまり大きくなく書かれているが、安全保障に関する法律を制定しなければならない理由のひとつである。
 感情であおることは大きく、本質は小さく書く。だから小さい記事のほうが本質をついていることが多い。ネットの記事も参照ください。反応した中国、韓国当局・新聞等の論理が論理になっていないのも注目。

 昨日夕刻、1条通買物公園でのとある団体の意見表明は大変聞き苦しかった。無知を装う身勝手の極みだと思った。

*憲法解釈の変更は1960年過ぎに高辻昌巳氏(法制局次長)が関与{必要最小限の防衛力}。従前は現在以上強固なの防衛に関する憲法解釈であったそうだ。池田勇人内閣のころの政策転換と関連があるようだが、今後よく調べてみたい。これが正しいとなると憲法解釈の変更は1度もなされていないということにはならない。


 昨日の役員会で、市庁舎に関する意見をとりまとめる作業をした。8月10日前後には表現方法含め市の当局に伝えることができる見込み。喧々諤々ながら楽しい時間。
T元K美衆議院議員。国会中継を意識して委員会で絶叫!

白々しい演技に苦笑。活動家ならぬ活動やさんのパフォーマンスに迷彩服着て敬礼だ!

所属の政党そのものが迷彩という説があるがいかがか。
 急がない札幌からの帰りみち、国道275号線のわきにある。
 石川県からの移住者で開拓がなされた金沢地区。すっかりさびれた中で地元の造園屋さんがはじめ、のちにコアな温泉愛好者が湯守(管理者)を引き継いだらしい。

 ほんの近くにはJR札沼線(学園都市線の愛称が全くあわないが)石狩金沢駅。列車の時間を調べたらいく通りかパターンができそうだ。
 冬も営業したいそうだが、燃料費(加温している)の関係もあって11月までらしい。コテコテでない民間の小さな温泉場。心が和むひとときである。
 十割蕎麦を謳う店が出現。料亭のようなたたずまい。木をふんだんに使っていてあずましい。
 開店してまもなくらしい。接客もまだまだこれから。

 小さな町を少しでも輝かせようと営業を始めた心意気は良い。
 てんぷらは地元産きのこがメイン。
 夏にしっかり浸透させて冬に多く来てもらえるようがんばってほしい。
 越冬がこの地での試練と磨きををかける。
おおもりそばが美味しい夏の季節。

あすは高校の学校祭が集中する日。

焼き鳥やたこ焼きよりもそばとは加齢を感じる。

そういえば、子がてっぺんから流しそうめんを食べたいとって買った高低差のある流しそうめん機。子は喜んで使っているようだ。

待ってられない私はどんぶりにめんつゆをいれ、水を加えてそうめんをごそっと中に入れてがぶがぶ食べる。
風流も時間もなしである。
 7月10日付けの北海道新聞朝刊(旭川版)に登場したその人は、松田悠さん。当会の会員見習いであって、落語愛好団体「旭笑長屋」で出囃子の三味線を弾く人物。会員見習いとはいっても、例会の記録を丹念にやってくれる才人であります。
 もう少し綺麗に写真撮ってほしかった。
 
7月11日夕刻に旭笑長屋の催事「寿芸無寄席」がありますよ。木戸銭500円で旭川市民文化会館小ホール。止せとはいいません、ぜひお出かけを。
 FMりべーる主催のお別れ会で故人のいとしい後輩でもある小俣雅子氏(元・文化放送アナウンサー)が挨拶。声のトーンも明るくひきつける話しぶりにぞっこん。暗めの照明がピンポイントで明るくなったようだ。
 そのあとのなおらいであってこちらもご挨拶。どこかの発言か書物か不明だが、「故人に女にしてもらった」らしい。
 
 それぞれの名誉もあるのでいうと、女にしてもらったって○○関係はないらしい。心が通じ合い、仲が良すぎて○○関係にならない例はいくつもある。
 この話の信憑性をもつオチがあって、故人から小俣氏への手紙で「お前と○○しておけばよかった」とあったそうだ。一同大笑い。

 からっとして、自虐ネタもジョークもうまい小俣氏。いまは大学の客員教授で学生に言葉の授業をしているとのこと。ますます活躍してほしい。

 20年ほど前だったか、ニッポン放送キー局(北海道はHBC)で三宅裕司と番組をやっていたが、小俣氏のボケぶりが鮮やかで聞惚れていたことがあった。
 FMりべーるの前社長・故人のお別れ会手伝いを少々。受付はほぼ葬儀社スタッフで、迅速明瞭である。

 それぞれの思いがつよかったのか、予定を45分オーバー。○○さんの話が・・・。

 人間模様を垣間見る(すぐ忘れることにしている)。

 その昔、番組を担当していた元高校生パーソナリティがやってきてくれた。30歳、結婚して子供いて正社員で働いているそうだ。現役組を何人か参列。弔電をよこしてくれた人もいた。
市庁舎の改築計画について自由闊達な意見交換。来週にまとめの話し合いをし、提言書を作成する運び。
 安全保障法整備反対の意見書可決。拙速である。
 自衛隊にある意味依存している旭川市にとって本当にわかっているのであろうか。市議会の意見書可決には法的拘束力はないが、政府に対して言うべきことなのだろうか。

 政党の本部から指示があったのか知らないが、内陸地域の事情をわかろうとしない気質にあるのではないか。
 日本海側や占領されている北方領土付近、沖縄の先島列島にいけば肌で感じる自国の無策。守る整備は今以上にかなり必要である。
 時間をみつけたので、2018年ごろに廃止が検討されているJR留萌本線の増毛~留萌間を探訪した。
 旭川から車ででかける間にも、廃止や運行事業体が変わったバス路線などもあわせて確認する。
 留萌~増毛の順ではなく、乗務員も異なり、留萌中心部の現状を知る時間をとるため、増毛発着とした。

 さて、増毛~留萌間の鉄道としての存在だが、実態はすでに「遊具」に違い状態で、むさくるしいオヤジ(自分もそうだろう!)だけが数人乗っている状況。並行する路線バスも閑散としているが、それなりの人を運んでいる様子。地域の支持があるのだろうか。
 しかも、施設のメンテナンスは最低限で、一番ひどいのは増毛と隣の箸別(はしべつ)にいたる区間。なだれや地すべりがおきやすい地形のうえ、24時間ある箇所に照明が灯されている。のろのろと時速25キロ(制限されているもよう)で走る列車には実用としての機能が失われつつあり、昭和40年代の某私鉄のようである。

 女性が多く乗っている路線にはそれなりの需要喚起の方策もとりやすいが、折角の日本海クルーズが楽しめるのにと残念に思う。

 観光客と思われるオヤジの後ろの席に乗ったら2度も{ガス攻撃}にあった。窓が開く列車であったのですかさず開けて空気の入れ替えをする羽目に。失礼ながらこんなやつが我が物顔で乗っている路線に未来があるのだろうか。

 帰りは深川自動車道の大和田IC経由で沼田ICからまっすぐ旭川の嵐山~鷹栖~旭川市内へ。高速自動車交通の要望は高いが、地域の衰退はなお進んでいるような感が否めない。時代の急激な変化を感じる。