8月の台風3個は強烈だった。

 国道は、北見方面石北峠、帯広方面三国峠、狩勝峠の手前南富良野町の浸水、そのまた反対側の新得町、清水町の浸水と日勝峠の通行止め、日高235号線日高町(海岸沿い)、このほか浸水した建物、流出した土木構造物、第1次産業への直接被害も多数。
 JR北海道に至っては、白滝と知床斜里の間で孤立。また、新得駅周辺でも橋脚が流出など近年にない被害が出ている。
 比較的安全だったのは高規格道路で、それなりの基準でつくられたものは安全性も高いようだ。

 それにしても、西神楽の辺別川周辺や神居古潭の対岸(深川市納内)を除けば比較的安全だった旭川。ありがたいことではあるが、都市に住むものとして備えの薄さを実感した。
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9月9日~11日にかけて旭川空港や旭川市内、東神楽町内で講演会やイベント開かれる。

この後の50年、まちづくりのカギを握る外部との交流拠点。
 本日と30日、11日に行った催しの音源を中心にホームタウンソングである「ナナカマドの並木路」を紹介していきます。
 FM837 FMりべーる パソコンのほか、携帯電話では無料アプリを取得すれば、ネット環境があるところでは聴くことができます。

 午後6時からです。ゲストは編曲者の黒川奈加子さん、電話出演珊瑚宣俊さんです。
 買物公園は昭和47年で、社会実験がその3年前。つまり、存在すらなかった歩行者天国。ついでだが、旭川医科大学も旭川大学も存在しなかった。

 旭川市旭山動物園は昭和42年開園。建設中であった。

 旭川空港は昭和41年開設。丘珠経由羽田行きで冬季閉鎖。

 JRは日本国有鉄道。札幌行きの最速は1時間55分。電車ではなく、気動車特別急行で神居古潭に駅があった。
 高速道路も北海道に存在しなかった。

 固定電話の自動化はすでに行われていたが、呼び出し電話の家が多数。携帯電話などという言葉もない。
 上川郡東鷹栖村と神楽町が存在していた。

 靴磨きのおじさんはいた。舗装された道路が少なく、すぐに革靴が汚れたからである。
 コンビニエンスストアもなく、生活維持のため屋外でとうきび(とうもろこし)を焼き売りするおばさんはいた。太平洋戦争で敗北して21年、戦死した若者が多くいて、息子を亡くしたというおばさんも多数いた。

 緑橋通りにナナカマドが植えられた理由は、中心市街地の防火のためらしい。燃えにくいナナカマドはうってつけであった。

 「朝々」という言葉は現代では使われなくなった。「夜な夜な」の対義語のようである。珊瑚さんから教えてもらった。

 


 
 事業の後始末もそうだが、普及はこれから。
 合唱連盟とも相談していく。

 同声2部合唱のバージョンがあることをりべーるのリスナーさんから実物をいただき知らされた。それはそれで感謝である。

 
 なぜ鑑賞会なのか。
 舞台は昭和41年頃の旭川。横文字は現代ほど日常的ではなかった。楽譜・プログラムも縦書きというのも昭和の台本をイメージしたのである。よって鑑賞会。


 終演後の交流会。一応出演者には軽食といっていたが、終演後はおなかがすくのである。特に学生は。
 福島県郡山市の大町商店街を視察に行ったときに、そこの役員さんから学生にはがっつけるものを出すとよいですよと教えてもらったのである。
 余談だが、視察の翌年に東日本大震災があり、断水で困っているだろうとすぐに「あさひかわの水」をたくさん送ったことがある。
 
 樋口一枝が誕生日ということで、合唱(高校生のノリのよいこと!)・ケーキで祝福した。樋口は和装だったのに舞台助手を指令。こき使ってしまった。


 
 
 会場は少しキャパより多めの250人が来場。

 楽譜贈呈式には公益財団法人三浦綾子記念文化財団の山田宏紀理事長が来られ、中川が贈呈書を読み、楽譜とともに手渡す。
 別便で100部。

 黒川奈加子編曲者には感謝状を贈呈。長女が高校3年までピアノを習っていたので、少し恩返しができたかなと感慨深かった。
 
 記念演奏・演舞は藤女子、旭川南、旭川東、藤田京子の順。さわやかに、躍動感あり、迫力そして気品。

 いよいよ珊瑚宣俊登場。50年前に歌った「ナナカマドの並木路」に何を思っただろうか。チアは白を基調とした少し不揃いの衣装でなんとも可愛い。

 そして、編曲の合唱。藤女子と旭川東の女声三部合唱。旭川東の混声四部合唱。クラシック版は藤田京子。
 
 いよいよフィナーレ。合同合唱(ユニゾン)の指揮は藤田雅。最初自分でやろうかと思っていたが、品質が重要だと時機を待ち。ラジオに出てくれた藤田雅に頼んだのである。指揮はエレガントでほれぼれした(お○まになったかと我を疑った?)
 
 主催者団体の会長としてはその場にいない??というシナリオは自分で書いたのである。
 主役はホームタウンソング「ナナカマドの並木路」であり、珊瑚宣俊であり、黒川奈加子である。
 よく出てくる舞台係員なのにジャケットにナナカマドの優佳良織のネクタイを締めていて、合同合唱にちゃっかり参加している(いわゆるカメオ出演)のである。知らない人は小野寺会長という人は来ていないと思っただろう。

 
 三浦綾子記念財団との折衝は事務局長の木村政博。ラーメンのように手早くまとめ理事長もきていただけることとなった。

 黒川奈加子編曲者に連絡を取り参加確認。あとはお知らせのみ。

 MCはりべーるの河口浩美と大学生よさいわかば。音響照明はりべーるとも縁が深いソングスが担当。照明に定評があったのは知っていたがなるほどである。

 舞台監督は豚、痛い、カンとトークで不肖私。えっ?楽譜贈呈は誰がやるの?

 そういう舞台にはぴったりの第5代会長中川校一。「ナナカマド紅丸」だからという楽屋オチである。

 
 準備には会員の協力が必要。圧倒的な?再任とともに事業承認をえた。話が早い。

 デザイナーは樋口一枝(ドキュメントということで敬称略をお許しください、以下同じ)が窓口でAOGの那須日奈子に出会う。チラシ、プログラム、賞状類すべて彼女が制作。

 キャスト選定。
 旭川で優れた合唱団体。東高校と藤女子。
 同級生のよしみで、声楽家のみならず発声指導者として活躍する藤田京子(東京在住)、名古屋から北川由美。前々日の演奏会の案内から話が進む。歌謡曲とクラシック。両方あるから選択できる。

 そう、珊瑚宣俊の説得には樋口一枝経由で実兄(なんと息子が同級生)が関与。横浜へ出かけ90分も楽しく懇談する。

 珊瑚の後ろにはダンサーを入れよう。昭和41年のスクールメイツをイメージして旭川南チア。学校外では初登場だ。
 私の長男が顧問の記憶に強く残る人気者だったらしい。実力を認め、「座布団1枚」を彼のもとへ送った。

 高校生、また卒業したばかりの宝クジ組の幾人かにはそれぞれ助力いただいた。もちろん、成長に効果があるミッションである。

 藤田京子の紹介で藤田雅(親戚ではないそうだ)を紹介いただいた。ラジオに初めて出てもらったときの第一印象は「お笑い芸人」。
 ジュリアーノ音楽院という世界に名だたるところで研さんを積んだ秀才。でも「豚に真珠」でちゃかす私に笑顔で打ち解けてくれた。

8月11日に開催された「ナナカマドの並木路」50年記念鑑賞会。

発案まで
 当会チャーターメンバー(設立発起人のようなもの)森山領が、FMりべーるの社長(非常勤)になり、リベール主催の駅前ビアガーデンイベントにパーソナリティーの一人として参加。「ナナカマドの並木路」を唄う。
 
 熱っぽく語る森山領。「旭川、ふるさとの唄なんだよ。」
12歳から49年も愛唱していたとのこと。

 会うたびにこの曲を多くの人に歌ってほしいと語る森山領に、いい加減に「何とかするよ」と返事をした。
ここからが、考える時間。

 やがて春になり、旭川放送合唱団の方が演奏会のお知らせにりべーるへ、私の番組へとやってきた。火曜日18時放送の「経済再生!あさひかわ」である。
 代表の山口正剛さん、伴奏、いや実態は音楽監督の黒川奈加子さんに曲を紹介したところ、黒川さんが元歌の歌詞と譜面を所望。数日後、私のところへ郵便が届いた。合唱用の楽譜とキーボードでコーラスアレンジした音源である。
 ここからも考える時間。
いよいよ明日。
ホームタウンソング。

音楽の街なら創造も拡張もやるべき。

文化の創造があるところに発展がある。