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 買物公園は昭和47年で、社会実験がその3年前。つまり、存在すらなかった歩行者天国。ついでだが、旭川医科大学も旭川大学も存在しなかった。

 旭川市旭山動物園は昭和42年開園。建設中であった。

 旭川空港は昭和41年開設。丘珠経由羽田行きで冬季閉鎖。

 JRは日本国有鉄道。札幌行きの最速は1時間55分。電車ではなく、気動車特別急行で神居古潭に駅があった。
 高速道路も北海道に存在しなかった。

 固定電話の自動化はすでに行われていたが、呼び出し電話の家が多数。携帯電話などという言葉もない。
 上川郡東鷹栖村と神楽町が存在していた。

 靴磨きのおじさんはいた。舗装された道路が少なく、すぐに革靴が汚れたからである。
 コンビニエンスストアもなく、生活維持のため屋外でとうきび(とうもろこし)を焼き売りするおばさんはいた。太平洋戦争で敗北して21年、戦死した若者が多くいて、息子を亡くしたというおばさんも多数いた。

 緑橋通りにナナカマドが植えられた理由は、中心市街地の防火のためらしい。燃えにくいナナカマドはうってつけであった。

 「朝々」という言葉は現代では使われなくなった。「夜な夜な」の対義語のようである。珊瑚さんから教えてもらった。

 


 
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